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水泳の清水咲子選手がリオデジャネイロオリンピック出場決定!

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さて、今回は水泳選手である
清水咲子(しみずさきこ)選手について
ご紹介をしたいと思います。

リオデジャネイロオリンピック出場おめでとうございます!
4月に行われた日本選手権で出場権を獲得しました!

これからリオデジャネイロオリンピックでの活躍が期待されている選手ですね!
早速見ていきましょう。

 

清水咲子選手のプロフィール

フルネーム 清水 咲子
ニックネーム サッコ
泳法 個人メドレー
所属 ミキハウス
生年月日 1992年4月20日(24歳)
生誕地 栃木県
身長 156cm
体重 50kg

清水咲子選手は、栃木県出身の24歳。
出身中学校は、栃木県大田原市立湯津上中学校
そして、作新学院高校へ進学し、日本体育大学へと進学します。
2015年からは、ミキハウスに所属していますね。

専門種目は、個人メドレー
得意な競技は、バタフライと平泳ぎです。

2014年に400メートル個人メドレーで日本選手権初優勝を果たします!
また、
2016年には、
400メートル個人メドレーで日本新記録を達成し、見事優勝!

リオデジャネイロオリンピックへの出場を決めます。

とっても輝かしい成績をお持ちですね。
身長は、156cmということです。

 

清水咲子選手が水泳をはじめたきっかけ

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清水咲子選手が水泳をはじめたのは、なんと4歳の時。
清水咲子選手には、お兄さんがいるのですが、
お兄さんが水泳をしていたのですね。

そのお兄さんが泳いでいる姿をみて、「やりたい!」
とご両親にいったことから
清水咲子選手の水泳人生はスタートします。
ご両親は、水泳をさせるつもりはなかったそうですから、
人生はどうなるかわかりませんね。

 

練習をスタートした清水咲子選手。
どんどんと上達し、5歳の時には、
普通に選手コースで練習をしていたというから
驚きです。また、大会にも出場をするようになります。

選手コースに移動するときにご両親から反対をされたそうですが、
「自分でやりたい!といったから通わせたんだよ。」
と清水咲子選手の事を考えてくれたんですね。

 

ご両親は、水泳のほかに習い事をさせていた。

ピアノや英語、そろばんといった習い事もしてましたが、水泳がメインだったようです。

清水咲子選手自身は、

「友達がいてすごく楽しい。
没頭していた。達成感もあった。」 

 

といっていますね。

スクールを異動!

より本格的に練習をするために、
中学校2年からは地元の大田原市から、
宇都宮市にある「みゆきがはらスイミングスクール」
に通うようになります。

栃木県の大田原市から宇都宮市は、
40キロほどはなれていますから、
車で行っても1時間ちょっとはかかる距離になりますね。

 

その距離をご両親が、
送り迎えをしてくれたんですね。
最初は、
自分の娘に水泳をさせようとは思っていなかったご両親も、
清水咲子選手の意志を尊重してくれて、
協力をしてくれたことは素晴らしいですね。

清水咲子選手は飽き性な性格??個人メドレー選手へ!

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宇都宮市にあるみゆきがはらスイミングスクールでは、
前田コーチから指導を受けます。

清水咲子選手は、
平泳ぎを専門にしていたのですが、
飽き性な性格もあって、

「平泳ぎばっかりは無理です!」

と前田コーチに伝えます!笑
そこで前田コーチが判断したのが
「個人メドレー」ということになるんですね。

個人メドレーは、
バタフライ→背泳ぎ→平泳ぎ→自由形
で構成されているので、

いろいろな泳ぎができるので、
飽き性な清水咲子選手にはピッタリの競技だとおもいますね!

 

しかし、個人メドレーは、
他種目と比べて、

バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形という全種目を習得しなければならない競技。
おまけに泳ぐ距離が200メートルから400メートルと、長く過酷なので、
その分求められるものが大きいですね。

一般的な小学校や中学校にあるプールが25メートルですからね。
200メートルならば8回、400メートルなら16回も泳がないといけませんので、
それを考えただけでも、
びっくりするぐらいの体力が必要になる競技になりますね。

 

結果が出ない中学校時代

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飽き性な性格から、背泳ぎから、
バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形を求められる個人メドレーへ転向した
清水咲子選手。

しかしながら、なかなかタイムが伸びません。
あれだけ楽しくて楽しくてしょうがなかった水泳。
そろばんや、英語といった習い事よりも優先して、楽しんでやっていた水泳。

 

そんな水泳に対して、「やめようか。。。。」
と思ってしまう日が来てしまいます。

 

ひとまず中学校卒業までは水泳を続ける!
ということで、続けていましたが、
いざ、高校に進学をしてみると、

高校ってたのしい!

遊ぶことが楽しくなってきたんですね。
わかります笑

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高校に進学すると環境がかわってとっても楽しくなるんですよね。
清水咲子選手も普通の女子高生のように遊びたくなって来たのでしょう。
水泳よりも遊ぶことに夢中になってしまって、練習に遅れることも多々ありました。

どんどんタイムが出なくなってしまったんですね。
その時に清水咲子選手のお母様から、

「咲子のタイムが出ないのは、お母さんも悲しい」

といわれてしまいました。

その時に清水咲子選手は、

ハッとしてやめようと思うことも恥ずかしい、
自分一人の水泳じゃないことに気づいたんですね。
そこからは、
気持を入れ替えて再度水泳の練習に打ち込むようになったのです。

 

見事にインターハイ優勝

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お母様の言葉で、気持が切り替わり、
必死になって練習を継続した清水咲子選手。

高校3年生の時の全国高校総合体育大会(インターハイ)の
400メートル個人メドレーで見事に優勝しました。
清水咲子選手も、お母様の言葉を忘れることなく、
必死なって練習をしてきたからこそ、
このインターハイ優勝を勝ち取ることができたんですね。

日本体育大学を選んだ理由がすごい!

 

高校3年生での高校総体(インターハイ)優勝によって、
体育系の大学から引く手あまたの存在になった清水咲子選手。

そんな清水咲子選手が選んだ大学が日本体育大学でした。
その理由が、

「自分がそのなかで一番の大学にいっては行けない。
ちやほやされてしまったら、間違っている事でも指摘してくれる人が居ない。
自分よりも強い人がいるところを選んだ」

んですね。
大学を選ぶ際に、
こんな考えをもって選択ができる清水咲子選手は
素晴らしいですね。
自分がトップになって努力をするという発想になりがちですが、
謙虚な姿勢で清水咲子選手は、日本体育大学で頑張っていこうと思ったのでしょう。
心の強い選手だと思います。

 

日本体育大学には、高橋美帆選手が居た!

指摘してくれる人がいる場所である日本体育大学には、
清水咲子選手が考えていた通りになりました。

日本体育大学には、高橋美帆選手が居たのです。

高橋美帆選手

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高校2年の時点でインターハイと、国体の2冠を達成した
いわば、清水咲子選手よりも上の選手が居たんですね。

清水咲子選手は、
高橋美帆選手についていくために必死で努力。
その結果、自己ベストを更新。

自分よりも上の存在の選手が間近にいると、
何としても追いつきたい。
何としても高橋美帆選手のようになりたいという気持が芽生えて、
どんどん上を目指すことができるようになるんですね。

高橋美帆選手にとっても、よい刺激になったと思います。

 

清水咲子選手のかわいい画像をご紹介

 

清水咲子選手のTwitterでは、
プライベートの画像も紹介されていました!

必死になって練習している選手のホッと一息した画像もいいですね!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

本当に清水咲子選手!
リオデジャネイロオリンピック出場おめでとうございます!
ぜひ、リオデジャネイロオリンピックでも頑張っていただきたいですね!

苦しい時も必死になって努力をしてきた清水咲子選手なら、
きっといい結果を残してくれるでしょう!

今後の活躍に期待です!

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